雲一つない五月晴れの昼間の人のいない伊勢神宮という・・貴重な写真になりました。
■伊勢神宮内宮入り口の大橋。誰もいません。
■橋を渡ると南への表参道です。広く、綺麗です。。誰もいません。
■まったく落ち葉がない。いつもはきとっているそうです。植栽も庭師さんが手入れされてますね。
■清めの場所。ここを降りて 五十鈴川へ。誰もいません。
■禊をする川:五十鈴川1。 ここで手を清めます。 それにしても透明度が高いですね。 この上流には人が住んでいないからというのもあるかも。人が住んでいて生活汚水が流れてくると川底に藻がいっぱい生えるものですげここにはそれがなく水底の石が見えてますのでね。水深も一定に見えますので川底までもが手入れされているのかもと思います。
■禊をする川:五十鈴川2。 明和町斎宮には似たような祓川 がありますけどね。
■僕以外に誰もいません。
■高木ですね。
■本殿西側の外の 謎の三角エリア で縄で結界がはられています。ここでも参拝するそうですよ。
■伊勢神宮内宮神殿前。誰もいません。
この階段の上からは写真撮影禁止です。お社の前に警備の方だけがいます。今ここには僕と彼だけ。
神様の前には僕しかいない状態なので 二礼二拍手のあと 3分くらいかけて神様にお祈り、お話してきました。(笑)神様を独占しているようでいいのかなと思いましたが、たっぷりとお願いもしてきました。
■本殿の裏にある荒魂宮。
■ここを過ぎると内宮の神殿です。。誰もいません。
此の世というのは ・・・ 実は天国。 なんてこの自然界は美しい世界なのでしょう。それを思い出させてくれるのが伊勢神宮のように思います。
日本には1000年も前から古事記という古い本がありますが、神様がいるところが天国なわけでその神様たちは日本におりたっていました。スサノオは出雲に、猿田彦は三重、そこにアマテラスが連れられて伊勢をつくりました。そしていつしか今に続く人にその地が神様から与えられ引き継がれてこの地に住むようになったのです。つまりこの地は天国なのです。で神様は死んだのかというとそうではなくて自然にかえりそれは魂となってまだ我々と一緒に暮らしていて我々が話しかけたいときは神社の鳥居のあるご神体に祈ればきっと伝わるだろうというのが日本の人の考え方なのです。神様はご先祖であり、自然なのです。このお話を 武田邦彦 先生の動画で僕からお話ししてみましたらば武田先生は「そうだったか、今まで理解できてなかったことが今分かった。そうだ、その通りだ」と感想を述べておられます。
日本では神様とはご先祖様がたのことであり、そしてご先祖様がたは大自然に帰っていった方々であり、この自然そのものは実は神であると考えるそうです。今生きている人間もこの自然界に生きているので日本人は神とともに生きるということになるのだそうです。なるほど。
これは津下正章先生という伊勢におられた神学者様に直接講義でお聞きした話ですが、歌にある千の風も同じような意味の歌でしたね。
そして身をきれいにして神殿で手を合わせて祈れば魂の世界で会うことができるといいます。祈りそして瞑想すれば神さまがみていてくれると安心できます。
ではあとは、何をして生きていけばいいかというと人間はこの自然界にいる間は楽しくすごすことです。それはすべてを愛して過ごしていけばそれができるというか僕も実感しています.。出会う人を大切にし、人の喜ぶこと、楽しんでもらえることをすること、そうしたことをしながら生きていけばいいのです。お金がなくてもそれで十分幸福になれます。これは性善説をとる日本の考え方のように思います。
僕の場合音楽を演奏したい人、音楽を聴きたい人そうした仲間にそういう場や機会を提供したい、そういう音楽を提供したいということなのですがそれにより僕は幸福を感じますし、一緒に参加してくれる人がいればもう皆もその方に感謝し歓迎しますし、結果皆が嬉しいことになり幸福になれるし・・・ということで素敵な人生にもなりますので音楽続けています。
あなたも私も自由だ。
■綺麗な池1。モネの絵よりも目で見た風景のほうがきれいです。
■綺麗な池2。モネの絵よりも目で見た風景のほうがきれいです。
■白いニワトリがなん羽か 放し飼いされていました。社務所も雨戸が閉められ、御神楽殿も閉められていました。ただ建物の中では清掃・掃除作業をされていたようでした。
■橋の上から五十鈴川北側。 下流は伊勢湾にゆきます。
■橋の上から 五十鈴川の南側。ここを南に行くと剣峠があります。四国にもありますね剣峠。
■内宮さんの入り口には日本の国旗がたなびいていました。 ここは日本の原点ですね。 伊勢神宮から東に10キロいくと 天の岩戸 という神話の伝説地があります。神殿からの帰りに二組のアベックさんに出会いました。